少し前の話、
松戸アートラインプロジェクトを見に行った。
主に
毛原大樹、池田剛介、太田遼がよかった。
特に太田遼の作品は面白く、
何の変哲もないビルの2階で展示をしていたのだが、
部屋に入っても作品のようなものはなく、これといって何もない空間で、
ギャラリーのようなホワイトキューブではなく、
あたかも部屋探しの際に不動産の人といく物件まわりをしてる時の部屋のような感じに近かった。
部屋は不自然な間取りで、三角形の部屋だった。
壁紙がきれいに貼られた壁、窓、特に変わった空間ではなかったため、窓を覗いた。
そこから見える風景は雑居ビルが立ち並ぶ風景で、すぐ隣のビルの窓や外壁がみえた。
もう一度見渡すと、キャプションのとなりに
パネルが貼られており、そこにはこんなような文章がかかれていた。
「窓からみえるのはすぐ隣のビルの壁、窓。その窓はすりガラスでそこからピンクのカーテンが見える。女の子が住んでいるのかな?数日間僕はこの部屋に住んでみてこの窓から見えるとなりの住人が気になりだした。そしていつしか僕は顔もわからない隣のビルに住んでいる女の子の事を好きになっていることに気づいた。」
ん?と思い、もう一度部屋を見渡すと、窓から見える風景に違和感を覚えた。そして気づいたのだ。
これは作られた風景だと。
作者が近くにいたから話を聞いてみた所、文章に書かれているシチュエーションをこの部屋で作っていると答えた。
要するに、ここの部屋、窓、窓から見えるとなりのビル、隣の部屋の窓、室外機、またその隣の家の窓、その室外機等をすべて作っていたのだ。
僕はその作り出された部屋のクオリティー、さらに作品をただ観ているだけでなく自分もその当事者になっていること、そして普段生活している上でこのような体験をしているわけではないはずなのに、どこか同じ様な心境になったことがあるような感覚に陥ったことにも驚愕した。
太田さんの話によると、このような空間で作品としてなりたちやすいが、美術館やギャラリーなどの空間では再現させることが困難だとのことだ。
それにしてもとても面白い作品だったのと、自分がやりたい事とリンクしたような部分がとても大きい要素としてあった事に興奮を覚えた。
空間をうまく利用し、最大限の想像をさせる事が出来ていた。シンプルだけどとても魅力的だった。自分の制作に共通していた部分は日常にあるような事を再現し、ちょっとした日常の楽しみなど様々な心理をうまく作り出したということだった。
自分も自らの直接的な表現ではなく、心理の再現やフラッシュバックが起こるような作品が作りたい。
課題としては徹底的なシチュエーションの再現力、日常におけるちょっとした楽しみ、出来事などをいかに見つけ、それを想像させるにはどうすれば良いのかということ。
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インターネットでのコミュニケーションを使い制作、作品を作る事が出来るか。
まず何を観せることが可能なのか。
作品をみせるには会場があってそこで展示・提示するわけで、それに人がきてそれをみてくれるわけだから、多少のわかりやすさ、キャッチーさは必要なのかもしれない。視覚的なものと心理。
きれいなもの、美しいもの、汚いもの、かわいいもの、クリーンなもの、壮大なもの、わくわくするもの、笑えるもの、すげーもの、衝撃もの、ドキドキするもの、よくわからないもの、不快なものといろんな作品が存在するわけだけど、観る人には少なからず作品を体感、体験、当事者としてあってほしい。
そうする為には、少なからず僕には空間が大切なのかなと思う。
わかっていることは自分の作品を「きれいですね」や「かわいい」といった感想にはならないということ、なるはずがない。なったらおかしい。
「生活感」「日常」をいかに入り込みやすく、そして密着することができるか。
インターネットはもうすでに「生活」に溶け込んでいるのかということも考えなければ行けない。僕がインターネットの何が面白いかというと、顔見知りの人間とのネット上でのコミュニケーションではなく、顔も名前も知らない人間とのコミュニケーションだと思う。
ネット上で次元、異空間を感じるからだ。そしてそれは実に不安定でふわついている。
そんな関係性は普段からみんなの生活に浸透しているのだろうか。少数だろう。でも今の時代だからこそあるし増えてきたと思う。
僕は少なからず生活の一部として考えているし、体感、体験、当事者であるといえる。
そこに入り込んでいる自分はそこにもっと入り込んでいぢくりたいのか、もっと利用したいのか。
いぢくるのだとしたらどんなことができるだろう。利用したいのであればどうのように利用したいのだろう。
上記にかかれたことを使って人々の「生活」を想像させることができるのだろうか。
心理をゆさぶることができるのだろうか。
観る人が体験する、したような感覚になる、するにはどのような方法をとるべきか。
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